
私自身が誕生する10年以上も前のこと。
当時の日本鉄道省(今のJRグループの前身)は“分社”のつもりで南満州鉄道(満鉄)を傘下に収めていたようだ。今なお“まんてつ”として語り草になっていますね。
かのパシナ型蒸気機関車が牽引していた昼夜兼行の客車特急“あじあ(亜細亜)号”。哈爾浜(ハルビン)〜大連をほぼ一直線で結び、果ては釜山または大連からは航路(フェリーの前身)で日本の国鉄線の東京〜下関での客車特急にも連絡していました。
また東京や名古屋、大阪等の各主要駅ではパリやロンドンの辺りまでの連絡乗車券も買うことが出来たとか。まさしく当時の日本の客車特急“つばめ”“さくら”“富士”は国際列車でした。
さて満鉄は、日本の国鉄在来線では惜しくも叶わなかった国際標準軌(日本広軌=軌間1435ミリ)を見事に採用。
それに見合った大型の蒸気機関車や客車も用意されたとか。冷房付きで最高運転時速は130キロですね。
また、既に計画されていた日本国内の弾丸列車による高速鉄道(東京〜小倉、標準軌複線)の車両開発のモデルでもありました。因みに、トンネルが多い東京〜名古屋、京都〜姫路、広島〜小倉は直流3000ボルト電化、それ以外の区間は非電化にする予定だったらしい。
仮に日本が戦争に勝っていれば、1954年頃にはヨーロッパ(主にベルリンこと伯林)〜関釜海底トンネル〜東京の直通運転もさせるつもりだったらしいね。うん。
しかしながら敗戦で、この夢のような構想は、たちまちオジャンに。旧ソ連軍に接収された後、今は中国鉄道省の長春鉄路として健在です。
結局、その技術・設計は東海道新幹線、果ては今の整備新幹線にも大きな影響を与えています。新丹那トンネルも見事に活用されていますね。
特急“あじあ号”は凄く豪華な車内で、食堂車のメニューも然り。金髪のロシア人女性職員が応対に当たっていたらしい。
私自身もぜひ乗りたかった……と言いたいところだが、やはりアジア大陸への侵略の象徴なのは事実で、あまり大声で言うのはやめとこうか。(苦笑)
満鉄は単に輸送だけでなく、満州(現・中国東北部)での娯楽施設やホテル、飲食店、映画館や路線バスも手掛けていたようだ。
このような昔の夢の国。さすがに父方の祖父も行きたがった筈だわ。
画像の書籍では、このような旧満州をカラー写真にて紹介しています。
また、併せて多摩地方の廃線や未成線などを紹介した本なども購入しました。
なお、南満州鉄道株式会社が正式に解散したのは、私自身が誕生直後の1957年とか。きっと、専ら残務整理に追われていたのだろうね。うん。