







本日の我が名古屋市内は全般的には暖かかったが、やはり夜間にでもなれば、いやぁ、何故か鍋物が恋しくなりますね。うん。
ここでは、比較的最近にて賞味したメニューでもご紹介しますわ。(微笑)
…………さて、つい先日に私自身は69歳の誕生日をどうにか迎え、ひつまぶし定食を取りました。久々で美味しかったです。
そう言えば、親父も生前は鰻料理が好きだったなぁ。(微笑)
…………その誕生日の夜、何と豊橋市内に在住の母方の伯母が他界したとの連絡が、従兄から入りました。享年99。まさしく老衰による大往生だね。
その伯母が若かりし1962年頃だったかな?

中川区万場の当時の実家(↑画像の辺りかな?)に宿泊に来られ、その夜は手作りの味噌煮込みうどんにて、もてなした思い出があります。伯母はたいそう喜んでいましたよ。(笑)
時に、その伯母は37歳、その実妹としてのお袋は27歳の辺りか。私自身は5歳だったな。まだ、やんちゃ坊主で我が儘盛りの幼稚園児でしたわ。うん。
もう、あれから半世紀余りか。
さて、向こうにて我が親父らに、どんな土産話をするつもりなのやら?(微笑)
明日はお袋(90歳)等と葬式に参列します。ここに慎んで、合掌並びに献杯。🙏
・追伸2(12/19夜)…………母方の伯母(享年99)。私自身とお袋、それに大勢の親族、孫、曾孫に見送られながら、本日昼すぎに夫(享年83)や私自身の親父(享年87)らが待つ天国に旅立ちました。穏やかな遺容で。

豊橋市内は暖かくて雲一つない、伯母の旅立ちに如何にも相応しい快晴でしたね。荼毘に附される目前まで、伯母はホンマに幸せ者でしたよ。改めて合掌致します。
↑上の画像のモーニング定食。葬儀前にJR豊橋駅構内の喫茶店で取りました。この喫茶店からは、幼い頃、伯母に連れていって貰った丸物百貨店🏬(後の豊橋西武百貨店🏬)の跡地が見えます。
また、蕎麦処の東京庵本店に初めて連れていって貰ったのも、その1962年早春の頃でした。あの時の廉価な豊橋名物、にかけうどん。今でも、その美味しさは忘れられません。その他、多彩なエピソードがありますわ。

↑…………へええ!! 数え100歳を祝い、かの石破茂首相(当時)から伯母宛に表彰状も贈られていたんだ!! こりゃあ驚いたわ!!
その当時は既に寝たきり生活でしたが、認知症とは全く無縁。惚けてもいませんでした。
伯母の命日は、さらに伯母の結婚記念日とも。終戦直後の1948年のことらしいが、私自身も、さらに驚きです。
確か、その年の5月16日には名鉄東部線(元・愛知電鉄線)に合わせて連絡線、西部線(元・名岐鉄道線)も直流600ボルトから1500ボルトの電化に昇圧されて、今の名古屋鉄道(名鉄)の名古屋本線が漸く確立しています。深緑色のモ3800形による新岐阜〜豊橋の直通運転も始まりましたね。うん。恐らく、その伯母も乗られた筈だ。
あの伝説の流線形車体のモ3400形も名古屋本線の一般特急として、力強い吊り掛けモーターを唸らせながら、新名古屋駅や新岐阜駅にも初めて姿を見せ始めました。
1959年4月の日本🇯🇵初の大衆冷房車、5500系の導入時までには豊橋駅に乗り入れる名古屋本線の一般特急は、ほぼ全てがカルダン駆動のSR車に。しかしながら、旧来のAL車(OR車)、モ3400形やモ3850形、モ3900形は1967年8月のダイヤ改正目前まで、引き続き急行として豊橋駅に乗り入れていたようだ。
………………そして今夕には帰名しましたが、その直後。今度は仙台市内に住む父方の叔父(81歳)から実家に突然の電話。その奥さんが数日前に膵臓癌で叔父宅にて他界されたとか。享年76。岩手県大槌町出身とか。ご実家も東日本大震災では大津波の被害を受けられたようだが。
去る6月には大阪・関西万博2025にも叔父と一緒に出掛けられたほどの元気さでしたが、どうも既に病状はかなり悪化していたようだ。さぞや苦しかったことだろうね。うん。私自身もまだ信じられないほどですわ。
私自身が最後にお会いしたのは、今から約10年余り前かな。うん。
こちらにも、遠い名古屋市内から北東方向に向けて、慎んで合掌並びに献杯致します。🙏
私自身の親族で、こうも訃報が僅か数日間のうちに相次いだのは、恐らく初めてだ。
・追伸3(12/20夕方)…………投稿文面を一部修正しました。あしからず。