銀河夢急行

公共交通を中心に、グルメから日常生活、世相、社会情勢まで話題を幅広く取り上げます。

万場大橋停留所から市営万場住宅跡地までは徒歩で………。

いやぁ、私自身が在居していた頃から既に65年ぐらいかな。

はっきりしたことは覚えていませんが、伊勢湾台風が襲来した当時は、まだあの川中町界隈に住んでいたので、1960年頃だったと推定します。

そして、1961年春には西区菊井界隈の名古屋市立第三幼稚園(略称・三幼)に入園しました。あの頃は万場界隈に幼稚園とか保育園は無かったようだし。うん。

親父が中区内の会社に通っていたため、往路は付き添ってもらい、復路はお袋が迎えに来てくれたものでした。

その時に乗った市バスは主に15系統(名古屋駅前〜富田町新家)で、岩塚本通が未整備だったため、大宮町から直進して烏森口(既に廃止)〜烏森本町(同)〜九反所(現・並木町)〜岩塚石橋(現存)〜岩塚(既に廃止)〜万場大橋(現存)を経由していたものでした。

また、復路に栄で百貨店に寄るような場合は120系統(栄町=現・栄〜松下住宅=既に廃止)に乗ることも時折あり、この系統もやはり岩塚石橋経由でした。この路線系統も栄町〜千成通は今の栄24系統と全く同じ経路ですね。

そして今は中村公園始発に再編され、基本的には中村11、中村12系統や幹中村1系統に生まれ変わっています。

当時の15、120系統は、あの北区内での3系統とは違い、車掌が乗務。手回し後方幕も常時使われて、分かりやすかったですね。うん。

また120系統は万場小橋からは南下して新川停留所(既に廃止)を経由。あの狭苦しい堤防上を経由しており、ホンマに怖かったわ。

まあ、当時の岩塚〜万場大橋もかなり、その劣悪な交通環境には近かったが。

さて、万場住宅停留所から市営万場住宅跡地までは徒歩で向かいました。

しかしながら、今はすっかり再整備されて、経路跡はすぐには分かりませんでした。(苦笑)