銀河夢急行

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みんな なかよく 力いっぱい。小学生時代の母校付近も訪ねました。

私自身が小4の2学期(1966年9月)から卒業時(1969年3月)まで在籍した豊橋市立八町(はっちょう)小学校の付近も久々に訪ねてみました。

校訓は“みんな なかよく 力いっぱい”。昔と全く変わっていませんね。うん。

またご自慢の校歌も覚えやすくて、歌いやすい。今なお同窓会とかクラス会では必ずと言っても良いほど熱唱しています。

https://www.toyohashi-c.ed.jp/hacchou-e/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E6%A0%A1%E6%AD%8C

校庭ではクラブ活動にてサッカーをやったり……と思い出は尽きません。

その指導をしておられた熱血教師は、当時のテレビドラマ“これが青春だ”の竜雷太さんが扮した大岩雷太先生と何処となくイメージが似ていましたね。私自身も、まあ、よく叱られたわ。(苦笑)

遅刻ではなくて、忘れ物が多かったからなぁ。(苦笑) 私自身の5年生から6年生にかけてのクラス担任でもありました。

その熱血先生も数年前には他界されたそうです。ちなみに終戦当時は小6だったそうな。

熱血先生こと“1960年代後半での八町小の雷太先生”とでもしておこうか。信念は「為せば成る、為さねばならぬ」でした。授業中でも、よく聞かされたなぁ………。専門は算数と体育だったか。

とにかく共通点は、喜怒哀楽が激しい先生だったなぁ。うん。

当時のクラスメートの皆さんも独立心や連帯感、仲間意識が実に強かったわ。ホンマにお世話になりました。

……………奇しくも時計屋育ちの私自身の親父の兄妹9人(男3人、女6人。本投稿時点では男女各2人が生存。親父等は向こうで、どのような思い出話を交わしているやら…………?)も皆、この小学校を卒業しています。明治時代の開校当時は八町尋常小学校で、昭和時代には八町国民学校となりました。親父は4番目の子で長男でした。

終戦直後には昭和天皇も視察に訪ねられました。

・追伸(7/11夕方)……………投稿文面を一部修正しました。あしからず。