すでにご周知の通り、名鉄西蒲線(西尾〜吉良吉田〜東幡豆〜西浦〜蒲郡)は経営体制の見直しを経て、差し当たりは2042年3月末までの存続が決まりましたね。
うち、西尾〜吉良吉田は西尾市側が名鉄に支援資金を今まで通りに出すことに。吉良吉田〜蒲郡については、2026年4月以降は線路や架線、電柱、枕木、駅施設の更新費用や日常の保守費用を全額負担する、みなし上下経営分離方式に移行します。西尾市内部分は西尾市、蒲郡市内部分は蒲郡市がそれぞれ負担するとか。
西尾〜蒲郡は経費節減のため、なるべくスリムな電車線(架線)や線路の配線にさせたいところだ。
具体的には、待避線位置の見直しや、今のJR武豊線に準じたき電吊架線の大幅な採用等。
恐らく、その時点までには車両も比較的若い世代(今のところは3100系の可能性が大きい)に総て交代か。すっかり老朽化している6009〜6013Fは既に廃車されていよう。
みなし上下経営分離方式は既に一畑電車や上毛電鉄等で実例がありますね。うん。
西尾〜蒲郡は西尾市や蒲郡市がもっと管理の権限を高めるべきだ。古来からの名鉄本体の宣伝は二の次でも良さそうな気がしますね。まずは沿線の全駅にてさらなる利用アピールを優先すべきだ。少なくとも60分間隔で西尾〜蒲郡を3100系あるいは6800系後期型による直通列車を走らせなければ、西蒲線自体の存続意義はなかろう。
具体的にはmanaca等ICカードの早期対応化や三河鳥羽〜蒲郡の各駅での簡易決済機の導入(今の養老鉄道や伊賀鉄道、JR太多線・可児駅の辺りを手本にすれば良かろう)、自動券売機を名古屋本線並みの最新型(QR乗車券やクレジットカード等対応)に更新すること。少なくともそれだけは、なるべく早めに実施に移すべきだろう。
また、吉良吉田駅自体を現行よりも北側、あるいは東側どちらでも構わないから、とにかく直線の位置に移転させた方が良いのでは? そこにバスターミナルも移動させるべきだ。旧一色町や碧南市への円滑な連絡運輸も引き続き重要だろうね。
その新しい吉良吉田駅にて2200系など6両編成の電車も発着出来るようにすれば良い。
さらに、西尾市と蒲郡市の境は紛れもなく東幡豆駅だ。この東幡豆駅に折り返し線や留置線を造り、その代わりに西浦駅や吉良吉田駅は今までよりもすっきりさせたらどうか?
また、こどもの国駅は何も今さら6両編成対応のホームは必要ない。4両分に短縮が望ましい。
とある古い史料によれば、かつては東幡豆駅折り返しの列車もあったようで、1959年頃の西蒲線の正式昇圧後は初代5000系が東幡豆のサボを付けて往来していたようだ。ライトパープル塗装時代のことで、恐らくはうさぎ島、猿ヶ島の観光臨時特急だったとみられます。1965年頃のことかな。蒲郡線の直通列車は津島方面よりも名古屋本線の新岐阜方面からのものがむしろ多くて、SR車が主役だったようだ。
また、蒲郡線はもともと直流1500ボルト電化だったそうで、1957年頃まではHL車による碧南(西中金駅始発列車もあったかな?)〜吉良吉田〜蒲郡の直通列車もあったらしいね。その当時、西尾線は600ボルト。複電圧対応のモ3600形以外の車両は直通出来なかったようだ。このAL車は名鉄のロマンスカーの祖先の一つであり、終戦直後から当時の新名古屋駅を拠点に御嵩や八百津、三柿野、果ては大須(岐阜県)にも直通していたとか。一宮線や岩倉支線にもいたらしいが。
西蒲線を着実に再活性化させるには、単にワンマン化とか駅無人化だけでなく、臨機応変に臨時直通列車の設定も必要だろう。
広見線末端部にも同じことが言えるのだが、可児市は今なお、さらなる資金負担を渋っているとか。まだ存否の行方は今ひとつ分からないが、その回答期限まで、あと残りは泣いても笑っても1カ月しかありませんね。(苦笑)